第1話|荒瀬ダムが撤去された日
要旨:2018年、熊本県の荒瀬ダムが本体撤去を完了した。発電専用ダムとしては国内初の本格的な撤去事例である。2010年の発電停止・ゲート開放後、球磨川と河口域では生態系回復の兆候が報告され始めた。建設当時の正当性を否定する必要はない。問題は、役割を終えた構造物について、老朽化、堆砂、維持管理費、生態系影響、流域住民の合意形成を含めて「残す」「改修する」「撤去する」を一基ずつ考える仕組みが、まだ十分に整っているとは言い難いことだ。荒瀬ダムが示したものを、その出発点として記録する。
1. 荒瀬ダムが撤去された日
2018年3月、熊本県八代市坂本町の球磨川中流域で、ひとつのダムが姿を消した。高さ25メートル、幅210メートルの重力式コンクリートダム——荒瀬ダム。発電専用ダムとしては国内初の本格撤去で、着工から完了まで6年。両岸にわずかなコンクリートの遺構が残るだけで、注意して見なければダムがあったとは気づかない。いまは、川が流れているだけだ。
荒瀬ダムの歴史は戦後復興期に始まる。1951年、熊本県は「球磨川地域総合開発計画」を策定し、7基のダムと10の発電所を建設する構想を打ち出した。背景には深刻な電力不足があった。当時、北九州工業地帯に県内発電量の約4割が送電され、県内の工場は操業短縮を余儀なくされていた。球磨川の急流を電力に変える——九州復興の屋台骨を担う仕事だった。1953年着工、1955年竣工。年間発電量は約7,500万キロワット時、県内電力需要の16パーセントを担った。熊本県の高度経済成長を文字通り駆動した施設である。
ダムが完成してから、球磨川は変わった。
ダム建設前、旧坂本村だけでアユ漁師が280人いた。地元住民の証言では、「水面を棒で叩けばアユが浮いてきた」「川に石を投げれば魚に当たった」と語られている。ダム完成後の1960年には16人。川が濁り、流れが止まり、夏のダム湖はアオコと悪臭に覆われた。喉が渇けば水を飲めた川が、そうではなくなった。
被害は川だけに留まらなかった。球磨川は八代海(不知火海)に流入する代表的な大河川であり、河口に広がる干潟を養う砂と養分の供給源だった。ダムによる土砂供給の減少は、河口干潟の変化に影響した要因の一つと指摘されている。八代海沿岸では、干拓・埋立等の影響も含め、昭和52年比で干潟面積が大きく減少したとの資料がある。アサリ、ハマグリ、タイラギ。かつて裸足では歩けないほど貝がいた干潟は、泥に覆われていった。
洪水の質も変わった。ダムのなかった時代、坂本町は年に一度は大水に見舞われたが、水位の上昇は緩やかで予測可能だった。住民は二階に大事なものを上げ、増水で岸に寄ってくるアユを家族総出ですくいに行った。大水はタンパク源を確保する年中行事で、害ではなかった。ダムができてからは違う。住民側からは、ゲート放流に伴う水位変化が生活実感として予測しにくくなったとの声がある。ヘドロが押し寄せる。乾けば固まる泥の後始末が復旧を阻む。地元市民団体の事務局長は、講演や寄稿の中で、「水害」という言葉はダムと共に坂本町に現れた、と表現している。
撤去への道のりは長かった。
転機は2002年。旧坂本村の川漁師組合が「荒瀬ダムを考える会」を発足させ、撤去運動が始まる。同年9月、坂本村議会は県営荒瀬ダムの継続に反対する請願を全会一致で採択。自民党県議団のプロジェクトチームも「撤去を前提に水利権更新は15年未満」との方針を打ち出し、当時の熊本県知事は同年12月、発電事業を7年間継続した後に撤去する方針を表明した。
2008年に就任した当時の熊本県知事が、撤去凍結を発表する。「撤去費用が当初の60億円から72億円に膨らんだ」「有効利用すべき」という理由だった。八代市長は「あまりに唐突で一方的、憤慨している」と反発。市民団体、漁協、県弁護士会が次々と撤回を要求し、「荒瀬ダムを考える会」は「荒瀬ダムの撤去を求める会」に名を変えて運動を継続した。
2010年、当時の熊本県知事は再び方針を転換し、撤去を決定する。水利権の失効期限が迫っていたこと、流域住民の反発が収まらなかったこと、八代海の漁業者たちが「漁場再生」への切実な期待を訴え続けたこと——重なった事情があった。同年、発電が停止されゲートが全開になると、その効果は直ちに現れた。
ゲート開放の翌年、球磨川河口のアオノリが伸び始めた。それまで30センチ程度だったものが1.5メートル、3メートル、深いところでは4〜5メートルにも達した。光が川底に届くようになった証拠だった。干潟には砂が戻り、ハマグリやマテガイが増え、アマモ場が広がり、ウナギが休息する場所が生まれた。河口周辺の赤潮についても、ゲート開放後に大規模発生が減少したとの関係者証言や報告がある。ただし、赤潮の発生要因は海域環境や気象条件等を含む複合的なものであり、単一要因に帰すことはできない。ダム湖だった区間には7つの瀬が復活し、夏にはアユ釣りの人影が見えるようになった。川底の生物種が2014年時点で10年前の約7倍になったとの調査結果も関係者から紹介されている。
2012年から本格的な撤去工事が始まった。施工を担った撤去工事の施工企業の作業所長は「現場はとにかく挑戦の連続だった」と振り返る。60年以上前に建設されたダムの当時の資料はほとんど残っていない。アユの遡上と産卵に合わせ、河川内で作業できるのは11月中旬から2月末までの3か月半のみ。汚濁防止膜で工事区域を二重に覆い、発破は振動を抑えるため工法を使い分け、導水トンネルの埋め戻しには100パーセントバイオディーゼル燃料を使った。門柱8基の撤去では「木を切るように倒す」発想から生まれた倒壊発破工法が工期短縮に貢献した。壊しながら、川を戻す。「つくる」と同じ重さの仕事だった。
荒瀬ダムの撤去は、業界団体の表彰を受賞している。
ただし、川がすべて戻ったわけではない。荒瀬ダムの上流約8キロには発電事業者が管理する瀬戸石ダムが残り、その湛水域がアユの親魚の降下を阻んでいる。下流には遙拝堰があり、仔魚が海に下る道を塞ぐ。この二つの構造物が存在する限り、回遊性の魚類の完全な回復は見込めないと、地元市民団体の事務局長は指摘する。球磨川では護岸整備の進行も流域環境の課題として指摘されている。
少なくとも荒瀬ダムの事例では、発電停止・ゲート開放・本体撤去を経て、川と河口域に回復の兆候が現れた。ダムを取り除くことが、流域の水・砂・生きもののつながりを回復させる一つの契機になり得ることを示している。60年かけて変化したものが、ゲートを開けた翌年から動き始める。その速度は、多くの関係者の予想を超えていた。
かつてダム建設は、地域の近代化そのものだった。電力が暮らしを照らし、工場を動かし、経済成長を支えた。あの時代の熱気は本物だった。荒瀬ダムの撤去は、もうひとつの事実を見せている。役割を終えた構造物を「壊す」という選択肢が、川と海と地域に何をもたらすのか。地元住民自治協議会の会長の言葉は簡潔だ。「子供の頃に遊んだ球磨川が戻ってきた」。
荒瀬ダムは、日本で初めて「ダムを撤去する」という選択が現実のものになった場所だ。記録として残す意味がある。全国には、河川法上のダムや各種堰・取水施設を含め、約3,000基規模の河川横断構造物が存在するとされる。同じ問いを投げかけるべきものは、本当にひとつもないだろうか。
地球防衛群の立場
なお、荒瀬ダムは発電専用ダムであり、治水を主目的とするダムとは制度上・機能上の位置づけが異なる。本稿はすべてのダム撤去を主張するものではなく、役割、老朽化、堆砂、生態系影響、撤去費用、流域住民の合意形成を含めた再評価の必要性を述べるものである。
私たち地球防衛群は、水源地の保全と流域生態系の再生を活動の軸に据えている。条例のひな型を自治体に提供し、土地取得の透明性を政策提言で訴えているのも、突き詰めれば「水の流れを誰が、何のために止めるのか」を可視化したいからだ。
荒瀬ダムの撤去は、日本にとってダムの在り方を問い直すうえでの転換点の一つになり得る。ダムは水を貯めるだけではない。砂を止め、養分を止め、魚の移動を止め、流域に暮らす人々の記憶と生業の連続性を止める。もしかしたら、止めることに理由があるダムもあったことだろう。しかし、時が流れ、その理由が失効したあとも構造物だけが残り続けるなら、制度設計を見直すタイミングなのかもしれない。
誤解されがちだが、私たちは単純にダム反対を掲げているのではない。3,000基すべてを壊せと言っているのでもない。言いたいのは、「必要だから存在する」のか「存在するから必要とされている」のかという問いだ。老朽化の診断も堆砂率の調査もある。ただ、一基ずつの評価が「残す」か「壊す」かの判断につながっているかは別の話で、そこを問い直すタイミングにきていると思っている。撤去費用の積立制度も、流域住民が参加する合意形成のプロセスも、まだ制度として整っていない。これらが揃って初めて、「残す」も「壊す」も合理的な判断になる。
荒瀬ダムは壊された。川は戻った。この事実を出発点に、3,000基を流域の水循環と生態系を基準に考え直していく。それが、地球防衛群が「ダムと川のこれから」に向き合う理由だ。
注・出典
- 球磨川地域総合開発計画(1951年)、荒瀬ダム諸元(高さ25m・幅210m・年間発電量約7,500万kWh・県内電力需要の16%)/熊本県・電気事業史料
- 旧坂本村のアユ漁師数の推移(280人→16人)、干潟面積減少(昭和52年比、ダムによる土砂供給減少に加え干拓・埋立等の複合要因)、ゲート開放後のアオノリ・干潟生物・赤潮減少傾向・瀬の復活、川底生物種約7倍増加(2014年時点)/地元市民団体の事務局長による各種講演・寄稿
- 撤去工事の技術詳細(汚濁防止膜の二重化、施工期間制約、倒壊発破工法、バイオディーゼル使用)、作業所長の言/撤去工事の施工企業による解説資料
- 撤去工事の評価/日建連表彰2020 第1回土木賞
- 撤去経緯(2002年運動開始・当時の熊本県知事の方針・2008年の当時の熊本県知事による凍結・2010年撤去決定)/熊本県公文書、報道各社
- 地元住民自治協議会の会長の言/報道インタビュー
- 注:本記事の数字は一次資料の照合中の段階を含む。記録性を優先して掲載しており、続刊で更新する場合がある。
本記事は、一般財団法人 地球防衛群が運営するWebサイト
earth-savers.orgの解説記事シリーズ「ダムと川のこれから」第1話として執筆した。法的助言・行政判断・投資判断の代替ではない。